2016年の桜



大学二年の春、桜の花が咲くプロムナードを歩いていた。にわか雨が降っている。差している透明なビニール傘の向こう側から濡れた花びらがひらひら降ってきて、ビニールに張り付いた。そのとき素直に花びらは自ら選んでわたしのところに来たのだと、安易にも思った。

「ソメイヨシノは全部クローンなんだよ」
一年後、お花見に行った公園で友人が言った。その春は、その言葉を何回も反芻した。

“知ってる。でも、ひとつひとつが生きてる、じゃない?”
ある人は言っていた。

桜が綺麗なのは、ひとがその人として生きてきた記憶の枝分かれの分岐点になるからかもしれない。季節だけではなく、記憶も何度もリフレインするもの。いつでもなにかを忘れないために、いくつも目印をつけておく。目印は多ければ多いほうがいい。帰り道を忘れないために。

0コメント

  • 1000 / 1000