猫にあの世はあるのか

泣きたいとき、
「救い」があるのかと思ったら、
そう思った過去ができて
それっぽくなる。救いはある。
飼い猫(イマジナリーキャット)にも死が訪れるときが来るだろう。
イマジナリーキャットの亡骸は空気だけれど、温度はそこに残っているかもしれない。
「猫にあの世はあるのだろうか」と。

時代を遡ってみると、紙や文字が生まれたのもきっと人々が救いをもとめたから。
神がいるなら、涅槃があるなら、生まれ変わりがあるなら、
救いをもとめるという思いの中にあるのだと思ったりした。

大人になってから、今まで何回くしゃみをしたり、涙を流しただろう。成人の日という明確な線引きがあったにもかかわらず、この4年間で二十歳のときの浅はかさが鼻に付くようになった。(わからないけど、自分はどうやら大人らしいぞ)から(もう大人なのだから)に代わって、諦めたことも増えた。きっかけがないと何も始めようとしなくなった。だけれど、久しぶりに足を運んだ劇場で二十歳のときと変わらず化粧が落ちるぐらい涙を流して、くやしいとか、かなしい気持ち以外で涙を流せる自分に安心して欠伸をした。ただそれだけができるようになるまで、自分を取り戻すまで、わたしは何年かかったのだろう。そして今まで何となくで聴いていたくるりの「東京」のなかの“よく休んだら きっと良くなるでしょう”という歌詞が心のなかに沁むのがわかった。

Let there be light: and there was light.

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