六月をくぐる
夕立に打たれて、庭木に咲いていた白い花がアスファルトにこぼれ落ちていた。
(コップから水があふれるように、いろいろなものには寿命があって、今年の芍薬はいくつ咲くのだろう)。そんなことを考えながら舐めて小さくなった飴玉を噛む。
夜には四月に作っておいた蜂蜜檸檬にサイダーを流し込んでマドラーでかき混ぜて飲む。底に蜂蜜がしつこく溜まっている。丁寧な暮らしとはかけ離れた、混沌とした部屋の中でそういう暮らしをやっている。社会的にはあまり良い瓶の中には詰め込まれていないのだが、それはそれとして、頭の中は自由だ。年金を無事今月も親の年金で支払う。今年はコロナウイルスが流行って、世の中はもうめちゃくちゃだ。めちゃくちゃだったのは前からだとしても、わかりやすくその影響の余波が私自身のところまできて耐えられないところまで来た。「みんな我慢している」とはいっても、わたしは“みんな”の中にはいっているのか微妙なところがある…。
ジギタリスの花が庭にいくつか咲いている。この花は心臓病の薬にもなるし、毒にもなるらしい。良薬は口に苦しとは謂えども本当に死んでしまっては身も蓋もない。
近所の神社では茅の輪を今年もくぐることができるらしい。六月、夏をくぐる。
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