わかりあえない
iPhoneのiOSとAndroidのそれと同じくらい他人と理解する幅が違うし、その人の言語の段階がどれくらいラフなのかにも依るところもある。台湾のロープウェイに乗って辿り着く、茶の産地の喫茶店でその店の人となんとなく意思疎通して通じたり通じなかったりして、やっと飲んだお茶が美味しかったことをたまに思い出す。humidな気候がアジアなのだと、そのアジアのなかで言語を介さず通じ合えた経験がその後の私の学習に影響を与えたり、与えなかったりしたよう。今にでも頭の中から零れ落ちそうな言葉がある、それを取り留めておきたいという願いがある。言語の社会的な構造に支配されまいとする態度こそinterdisciplinaryな態度なのだろう。あの時流れて行ったビーチサンダルのように、時が経てば使い回す言葉も変わる。その失われつつある言葉を大切にしたい。街を出たのは知らないうちに街から家が溢れて移動しただけかもしれない。
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